西田税
2・26事件の時、若手将校の「兄貴分」であり、また、北一輝の手足として動いた西田税について。
1901年米子に生まれる。
1914年米子中学入学
1915年広島・陸軍幼年学校入学(19期生、50名)
1918年卒業→中央幼年学校入学(19期生・同期250名の中に秩父宮)
1920年卒業→北朝鮮・羅南の騎兵第27連隊、第一中隊に配属(騎兵上等兵)→同年陸士本科生(第34期生、同期336名)この頃立正安国論を愛誦する。
1922年北一輝と出会う。秩父宮に大正維新を説く。陸士本科卒業→羅南の騎兵第27連隊騎兵少尉。初年兵教育係
1924年広島騎兵第5連隊に転任
1925年陸軍を辞め、上京、社会教育研究所講師(大川周明、安岡正篤ら同僚)
1926年結婚
1927年宮内省事件、十五銀行事件、朴烈文子怪写真事件などのスキャンダルで北一輝と怪文書戦術でカネを稼ぐ
1932年5・15事件のとき、陸軍の参加に反対したため、内輪もめとなり血盟団・川崎清光に撃たれるが、一命をとりとめる。
1935年皇道派の相沢中佐が統制派の永田少将を暗殺する前日、相沢を自宅に泊めた
1936年2・26事件では北一輝とともに決起尚早論だったが、止めることはできなかった。
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石原莞爾、北一輝、西田税に共通していているのは「立正安国論」だ。一回読んでみよう。
財閥や企業が恐喝されてカネを払ったのは共産主義よりは国粋主義の方がまし、という判断があったという説がある。イギリス・チャーチルはナチより共産主義の方がまし、とソ連をけしかけてドイツと戦わせた。(ソ連が疲れ果ててナチに勝ったとたん今度はソ連が敵、となった・・・アングロサクソンの厭らしさ、醜さだ)
豊田穣さんの意見に従い、出身地をチェック。
2・26事件首謀者の出身地 日本海側
野中四郎:岡山
香田清貞:佐賀
安藤輝三:石川
河野寿:長崎
栗原安秀:島根
村中孝次:北海道
石部浅一:山口
北一輝:新潟
西田税:島根
陸軍士官学校卒業者数:
1900年頃急増したのは山縣有朋の日露戦争シフトだ。
1920年代は軍縮で大幅減員。1930年代は大幅増で、1940年には史上最多の1798人に。
軍縮の反動で恐慌を尻目に政争に明け暮れ、カネ稼ぎに精出したエスタブリッシュメントに代わって陸軍が日本を乗っ取った。
第1期(1890年卒)147名
第5期(1894年卒)213名
第8期(1896年卒)292名
第9期(1897年卒)650名
19期(1907年卒)1068名
第20期(1908年卒)276名
第22期(1910年卒)721名
第31期(1919年卒)489名
第34期(1922年卒)345名
第42期(1930年卒)218名
第44期(1932年卒)315名
第49期(1937年卒)471名
第53期(1940年2月卒)1365名
第54期(1940年9月卒)1798名
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