エーミールと三人のふたご を読んで

 「エーミールと三人のふたご」は1935年にドイツ人エーリヒ・ケストナーが書いてスイスで出版された。(ケストナーはナチに睨まれていてドイツでは本が出せなかった)ドイツの児童文学というと「モモ」という女の子が出て来る、時間をお金の代りに貯金する・・・という話が有名だが2つの作品とも、忙しくて大人が見失ってしまったものを思い出させてくれる、ほのぼの感が残る作品だ。

この本も訳者、池田香代子さんの名訳のおかげで素晴らしい読み物になった。大人が心が荒んだときに読めば癒しになると思う。

エーミールは15歳の夏休み、おばあちゃんや友達と一緒に、海辺にある友達の別荘に泊りがけで遊びに行く。そこでふたごの兄弟と親父(実はこの3人は全く血のつながりはない)のアクロバットを見る。ふたごの兄弟のうち一人が成長が早すぎて親方(親父)のやろうとしてる芸に合わなくなって、親方に捨てられるのだが、それを知ったエーミールたちが親方にかけ合って、捨てられる子のために親方から50マルクの手切れ金をせしめたり、近くの子供たちから募金を集める、という話。アクロバットの親方が大きくなってしまった子の代りにエーミールの友達で背の小さい子供をスカウトしようとするところから「三人のふたご」という題名になった。(のだと思う)

さて、エーミールは美容院をやってるお母さんと二人暮らし。父親はもう亡くなっているが、そこにイェシュケという警部と母親との再婚話が持ち上がる。エーミールは自分一人で稼いでお母さんを幸せにしようと思っていたのに、別の男が現れて戸惑うがお母さんに幸せになってもらいたいという気持ちの方が勝って、結婚に賛成しようと決める。でもモヤモヤが残っている。友達の別荘に行ったとき、お母さんの再婚についておばあちゃんと話しをした:

「これからも、お母さんは何も知らないんだ。でもぼくは、こんなことになるなんて、思っても見なかった。ぼくたちは、一生いっしょなんだって、思ってた。ぼくたちふたりだけで。でも母さんはイェシュケさんが好きなんだ。それが、決定的。ぼくは、母さんにぜったい気づかれないようにする。」

「ほんとに?鏡を見てごらん。犠牲を捧げる者は、犠牲の子羊みたいな顔しちゃいけないの。わたしはおばあさんで、目もかすんでいるけど、あなたの顔色は、めがねなしでもちゃんとわかる。いつか、母さんは感づくよ。それからじゃ遅いんだから。」

おばあさんは手提げ袋をかき回して手紙とめがねを出した。

「お母さんがわたしにくれた手紙。ちょっとだけ読んであげるわね。ほんとは、こんなこと、しちゃいけないんだけど。でもあなたにわかってもらいたいの。あなたは、お母さんのことを、ちっともわかってないんだから。」

おばあさんはめがねをきちんとかけて、手紙を読んだ。

「イェシュケさんは、本当に親切な、身持ちのかたい、いい方です。もしも再婚するなら、この人以外には考えられません。でも、母さん、母さんにだけ打ち明けますが、わたしは再婚するよりも、エーミールとふたりきりで暮らしていきたいのです。そんなこと、あの子はこれっぽっちも気づいていないし、これからも決して気づかないでしょう。どうしたらいいのでしょう?わたしも生身の人間です、いつどうなるかわかりません。万が一、そんなことになったら、エーミールはどうなるでしょう?今後わたしの収入がへるという事も考えられます。じっさい、もうそうなっています。市場に、新しい美容院が店開きしました。美容師の奥さんが、近所の店で買い物をすれば、いきおいお店の奥さんたちは、その美容院へ行きます。わたしは息子の将来を考えない訳には行きません。それより大切なことなど、ありません。わたしは、イェシュケさんのいい奥さんになります。そう、心に誓っています。イェシュケさんにはそれだけの値打ちがあります。でも、わたしが本当に愛しているのは、わたしの可愛いひとり息子、エーミールだけです。」

おばあさんは手紙を持った手を下した。そしてきびしい目をしたまま、ゆっくりとめがねをはずした。

エーミールは膝を抱えていた。顔色が悪い。ぐっと歯を食いしばっっていた。そして突然、がっくりと頭をひざに落として、泣きだした。

「よしよし」おばあさんは言った。「よしよし」

それきりだまって、エーミールが泣きたいだけ泣かせておいた。しばらくしておばあさんは言った。

「あなたはお母さんだけを愛してる。母さんはあなただけを愛してる。そしておたがいおたがいを、だましていた。愛しているからね。とっても愛しているのに、相手を誤解していた。人生はそんなものだよったら、そんなものだよ」

カケスが一羽、鋭く一声泣いて、こずえをかすめて飛んで行った。エーミールは涙を拭いておばあさんを見た。

「もうどうしたらいいかわかんないよ。おばあさん!母さんが僕のために結婚するのを、ぼく、だまってみてられるかな?ぼくたちは、これからもずっと、ふたりきりでやっていきたいのに。どうしたらいいんだろう?」

「二つに一つだわね、エーミ-ル。うちに帰って結婚しないで、って言うのがひとつ。そしてお母さんと抱き合う。そうすればひとまず、一件落着」

「もうひとつは?」

「あなたがお母さんに何も言わないこと!死ぬまで、何も言わないこと。でもそうするなら、にこにこしながら黙っていること!悲しそうな顔なんか、しちゃいけない。どっちにするかは、あなたしだい。でも一つだけ言っておくけど、あなたは年を取る。母さんも年を取る。これは、口で言うほど簡単なことじゃないわよ。あなたは、2,3年で二人分のお金を稼げるようになるかしら?もしできるとしても、どこで?ノイシュタットで?むりですよ。エーミール。いつかはあなたも、家を出なければならなくなる。どうしても出なければならないということはなくても、やっぱり出るべきときは来るのよ!そうなったら母さんひとり。息子はいない。連れ合いもいない。たったひとり。まだあるわ。あなたが十年かそこらして、結婚したらどうする?母親が若い奥さんとひとつ屋根の下に住むというのは、なかなか難しいの。わたしはよく知っている。経験があるからね。いちどは奥さんとして。もういちどは母親として。」

おばあさんは、森ではなくて、過去をひたと見つめるようなまなざしになった。

「母さんが結婚するという事は、あなたたちがおたがいに、犠牲を払うということなの。でも、母さんが犠牲を払うことになるって、私から聞いたなんて、母さんに知らせてはだめよ。あなたが犠牲を払うことになるなんてことも、気づかれては駄目!そうすれば母さんがあなたのために引き受ける重荷は、あなたが母さんのために引き受ける重荷よりも軽くなる。私の言うこと分かる?エーミール?」

エーミールはこくんと頷いた。

「自分は進んで大きな犠牲を払っているのに、それはおくびにも出さないで、人の犠牲を有難く受け入れるのは、簡単なことではないわ。そんなこと、だあれも知らないし、だあれもほめてくれない。でも、いつかはきっと、そのおかげで相手はしあわせになる。それがたったひとつのごほうびだわね。」

おばあさんは立ち上がった。

「どちらでも、あなたの思った通りにしたらいい。よくよく考えてね。あなたひとりにしてあげるから。」

エーミールは、はじけるように立ち上がった。

「僕も行くよ。おばあさん!どうするか、決めた。僕、黙ってる。死ぬまで。」

おばあさんはエーミールの目を見た。

「えらい!きょう、あなたは大人になったのね!はやく大人になった人は、長いこと大人でいられるよ。じゃあ、おばあさんが溝を飛び越えるのを助けてね。」


>>>愛する人の重荷を軽くするために、誰にも黙っておくびにも出さないで犠牲を受け入れる・・・愛する人のしあわせをたったひとつのごほうびにして・・・それもありだよ、(それが大人っていうもんだよ)って、自分の頭で考えて選ぶようにアドバイスをしてくれる大人がいる・・90年たったが、俺は羨ましいと思う。

また、オー・ヘンリーの「賢者の贈物」も思い出される。(クリスマスプレゼントとして夫は妻の長い髪のために自分の金時計を売ってくしを買い、妻は夫の金時計の鎖を買うために髪を売る)・・・愛し合うが故にミスコミュニケーションが起こって幸せな悲喜劇を生む。。。これが書かれたのは1905年。この頃のアメリカ人には”アメリカ人”というより、まだ出身国の古き良き習慣、感性が色濃く残っていた。何より粋だった。

ドイツ人だろうが、アメリカ人だろうが、もちろん日本人でも何国人でも、ある時期まではこういう隠れた自己犠牲、陰徳によって他人が幸せになれば喜ぶ、と言う美しい心の働きがあったのだ。このことは覚えておいて折に触れ思い出そう。すこしでも絶望感を弱めるために。


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