佐藤愛子「九十歳。何がめでたい」 痛快!(13)
「答えは見つからない」を全文引く:
広島県府中町の中学三年生が、身に覚えのない万引きをしたと記録され、高校への推薦を出せないと教師からいわれて自殺したと言う傷ましい事件が起こった。万引きがあったのは二年前のことで、パソコンの入力時に間違って入力されたままになっていた。別人の万引きが少年のしたことになっていたのである。それを信じた女教師から、あなたは二年前にコンビニで万引きをしてるわね、と言われた時、彼は「はい」と答えてと言う。なぜ、「はい」などと言ったのだろう?万引きは彼にとって寝耳に水の言葉である。なのに「はい」といった。「はい」といえば万引きを認めたことになるのに。「はい」ではなく「はぁ?」だったのかもしれない。それを教師が「はい」と聞いてしまったのか?何しろ二人だけの会話だから分からない。彼自身も分からないのかもしれない。頭が真っ白になって、とりあえず「はい」と言ってしまったのかもしれない。この返事が少年の運命の岐路になった。教師はそれを事実と信じて、あっさり高校推薦は出来ないという結論だけを宣告した。ここで何らかの言葉をかけていれば(お説教をするにしても、慰めるにしても、こういう場合教師なら生徒に「何か言ってやりたい」という気持ちになるものだろうに)、少年も本当の事を訴えただろうに。スピード違反を見つけた警官じゃないんだから、テキパキとことを運べばいいというものじゃないだろう。少年は抗弁もせずに泣いて無実を訴えることもしなかった。そうしたいと思う前に彼は絶望していたのだ。
-どうせ何を言ってもわかってくれない。そう思っていた。もしかしたら今の教育現場、教師と生徒との関係はそういうものになっているのかもしれない。少年は親にも相談しなかった。何かの報道で、「相談しようと思ったが、親が忙しくてその暇がなかった」と彼が言ったと言うのを見たが、ことは「忙しいから相談するのはやめておく」といったたぐいの話ではない。人一人の一生が決められてしまうような重大な問題だ。だが彼は真実を訴えたいという気持ちを捨てていた。学校の教師だけでなく、大人というものにしらずしらず絶望していたのかもしれない。ふりかかってきた災厄に抵抗しようとさえ思わなかったのである。
何をしても無駄だ・・・
いまさら言っても仕方ない・・・
思うことはそれだけだった。
少年の心のうちをそう忖度すると、私は可哀そうでたまらなくなる。そんな彼を「気が弱すぎる」「自分の正当を主張する力がなくてどうするか」など批判する気持ちはなくなる。教師が悪い、親は何をしていた、などとしたり顔に、思いつき程度の批評をしてすませてしまえるような問題ではないのだ。彼が死んでしまいたいと思い、それから自殺を考え、それを実行するまでの心のうち、孤独のどん底でとつおいつした胸のうちを想像すると、誰に向けていいのか分からない悲憤に私は包まれる。
ああ、何と言う世の中になったのだ。教育論がとびはね、「子供の気持ちを理解しなければいけない」「自主性を認めなければいけない」などと空念仏を唱えて、それで分かったような気になっている。したり顔の理論を口にしてそれを教育の要諦だと思っているうちに、本来あるはずの「情」が摩滅していった。
昔は「頭痛と自殺は子供にはない」といわれていた。私が小学生の時、「頭が痛いから学校を休む」といったら「頭痛?そんなもの、子供にあるかいな」と一蹴されて無理矢理学校へ行かされた。算数の試験があるので仮病を使ったのだが、あえなく見破られたのだった。子供に自殺と頭痛はないという通説は本当だったような気がする。つまり当時の子供は鈍感で吞気だったということだろう。先生やお父さんは怖いものだと決まっていた。実際、先生やお父さんは子供をよく叱った。嫌いも好きもない。ただ怖い存在だった。子供の気持ちなんか何もわかってくれない。分かろうともしない人たちだと思うけれども、向こうの方がエライのだから仕方がない。向こうの方が正しいことを言っているのだと思い決めて、抵抗せずに従っていた。頼りになるのは「お母さん」だった。先生に叱られたり喧嘩で負けたりすると、お母さん目指して走って帰った。そして涙ながらに訴える。すると「それはお前の方が悪い。先生が間違ったことをおっしゃるわけがない」期待に反してお母さんは必ず先生の味方をするのだったが、それでも訴えたことで何となく気持ちが落ち着いて、傷ついた心は晴れたものだ。
昔の男の子たちはよく先生から殴られたり、廊下に立たされたりしていた。体罰が必要なほど当時の男子児童はエネルギーに満ちていて、「わるさ」が多かった。殴られても骨が折れたり熱が出たりしないのは、年中どやしつけられたりはたかれたりして鍛えられていたからだろう。先生や親父さんからそんな目に遭っても、泣きはらしても恨むことはなかった。すぐに忘れて、また叱られるようなことをしたのである。年中、子供に怒りながらも、親は可愛がった。子供のことが常に念頭にあったから、箸の上げ下げに怒ってしまうのだった。
毎日のように叱ったり叱られたりしながら、親子は密着していた。そこには「情」というものがあった。子供にだって、「いっそ死んでやれ」とヤケクソになることがある。だがそんなとき頭に浮かぶのは、「自分が死んだら、父ちゃん母ちゃんがどんなに悲しむだろう」という思いだった。兄ちゃんや姉ちゃん、喧嘩ばっかりしている弟やいつも虐めている妹ももう会えなくなる、弟はやっぱり泣くだろうか、妹は、おばあちゃんは、隣のおばさんは・・・などと思いが広がっていくうちに、死ぬ気は夢のように消えてしまう。私にもそんな経験が何度かあった。
過去のどの世代も、今ほど結構な子供時代を過ごしてはいないというのが、私たち長老組の感想である。長老の一人は:
「とにかく小学校の給食にデザートがつくんだからねぇ…」
と忌々しがっている。我々が毎日食べていたお弁当はどんなものだったか。カロリー、栄養、そんなものクソくらえという弁当だった。なにしろご飯の真ん中に梅干しが一つ入っているだけの弁当を「日の丸弁当」と称して、文句も言わずに食べていた。
今は運動会だというとお父さんお母さん揃って応援に行く。お父さんは写真を撮りまくり、お母さんは華やかに作った弁当を広げる。子供を喜ばせるために、だ。子供の誕生日にはケーキに蝋燭を立て歌を歌う。子供を喜ばせるために。
そんなふうにしてもらいながら、子供は親に黙って突然死んでしまう。なぜ親と子の間にこんな隔絶が生じたのだろう。どの親も一所懸命に子供の教育に心を砕いているのに。
どうすればいいのでしょうと問われても、私には答えられない。「人間というものはつくづく難儀に出来ているものなんですねえ」
そう嗟嘆するのみである。
>>>俺自身、上記に登場する教師にもなるだろうと思うし、自殺した生徒にもなり得る、と思う。
親が「子供たちの時代は今よりよくなる」と無邪気に信じられる国・時代は子供も絶望しなかった。親が絶望してるから子供も絶望する。本来人間に備わっているはずの「情」も失せて、ますます絶望が深くなる・・・というループにはまる。どうしたらいいのか?佐藤さんも匙を投げている。俺にも分からない。嘘でもいいから「明るい未来」を信じられるようになればいいのだが・・・というか、今までの人類の歴史を振り返れば「明るい未来」ってみんな嘘っぱちで長続きしなかった。だから、誰かさんが嘘でもいいから明るい未来を見せてくれれば…何年間かは絶望を忘れられる・・・
「子供の気持ちを理解しなければいけない」「自主性を認めなければいけない」などと空念仏を唱えて、それで分かったような気になっている。したり顔の理論を口にしてそれを教育の要諦だと思っているうちに、本来あるはずの「情」が摩滅していった・・・教育の要諦は何か?相手の気持ちを忖度することではないらしい。ならば、自分の価値観を押し付けることか???ハラスメントを恐れず、そう居直ってしまうべきか?
「自分が死んだら、父ちゃん母ちゃんがどんなに悲しむだろう」・・・これに似た気持ちになったことがある。単身アメリカで働かされた時だ。辛いというより「なぜ俺だけが?」という被害者意識で満杯だった。逃げ出したかったが、「ここで逃げたら、”俺を選んだ上司の顔に泥を塗る”」という気持ちで我慢した。その上司は「俺はお前たちを教育できない。教育の仕方を教わらなかったから。そしてお前らも部下の教育は出来ないだろう。だって俺が教育の仕方を教えないから」と公言していた。その代り、これと決めた若手に「修羅場」を経験させ、若手がそれを凌ぐまで見守った。それが彼の教育だった。俺も100%これを見習った。他に効果的な教育法ってあるのだろうか?
嗟嘆:「なげくこと」・・・ただ「なげく」のではない。「どうしようもない」、という諦め・絶望を感じさせる言葉だ。これまで「快刀乱麻を断つ」感じだった佐藤愛子の筆法が鈍る。
この諦め、絶望のせいで、九十歳を迎えてもめでたいと思えないのだろう。
佐藤さん、「絶望的だけど、まあいいか、これから先そんなに長生きする訳じゃないから」…と思ってるのか?・・・俺と同じく。
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