結膜結石

 3日前、ゴルフに行ったが、翌日の朝から右目の目じり付近に異物感(ゴロゴロ)が。夏にゴルフをやる時は日焼け止めを顔に塗る。これが目に入ると異物感が出る。日焼け止めって何しろ汗にも負けずに皮膚にくっついて剥げない。ゴルフ後の洗顔がいい加減だとこれが残って寝ている間に剥げて目に入って翌朝の異物感になる。それかな、と思い、いつもの通り日焼け止めを洗い落とす洗顔せっけんで洗う。それでなくなるはずの異物感がなくならない。そこで約10年前に網膜剥離を見つけてくれた眼医者に行く。それ以来、3月に1回通う、なじみの眼医者だ。俺にとっては網膜剥離を見つけてくれた恩人だ。

さて、眼医者に見てもらうと、右目の上瞼をめくって、何かを脱脂綿で取った。「結膜結石」だと。目にも結石ができるなんて知らなかった。去年は腎臓結石、今年は結膜結石。結石ができやすいらしい。治療が終わり、炎症を止める目薬など処方してもらって支払いとなる。通常だと、支払いの時に、受付のおばさんが「次回は3月後」などと言って、「何月に来てください」というメモを書いた紙を受診カードの裏に貼り付けてくれる。支払いが終わった後、そのメモを待っていたが、おばさんが替わったせいか、全然その様子がない。それでも待っていると、おばさんが顔をあげて「何か?」と聞く。

俺は「10年来、3月に一回通っている。いつもなら『次は何月』という紙をくれるからそれを待っている」と。

おばさん「院長の指示がありません」

俺「次回は3月後の12月来院でよいか?」

おば「何もなければその頃に」

かなり頭にきた。俺は、医者の「治してやる」、「俺は偉いんだ」的な態度を毛嫌いする。もっと言えば「馬鹿な患者は俺の言ううことを黙って聞いていろ」が大嫌いだ。そんな医者はまっぴらだ。この恩人の眼医者に紹介状を書いてもらって俺の網膜剥離の手術を執刀した大学病院の先生様が大馬鹿医者だった。この医者は、診察するときに患者が並んでいないと気が済まない、という大馬鹿だった。(看護婦が忖度して俺を含む患者を集めて、この大馬鹿医者の部屋の前に並ばせていた。加えて、この大馬鹿野郎は手術が下手で手術後半年くらいで網膜保護のために貼りつけた白いシリコンスポンジ片がポロっと外れて目の外に出て来た)

仮に医者がいくら名医でも看護婦や受付が馬鹿なら「もう2度と来ない」という客(患者)もあろう。この受付のおばさんは患者(客)のことなど一切考えないで院長しか見ていない。このおばさん、昔、医者が偉そうにして「先生扱い」されていた時代から医療関係の仕事に従事していたのかもしれない。(または、「とにかく院長先生様の言うことだけ聞いておけ」という教育でも受けているのか?)よっぽど「院長のとこに行って指示を仰いで来い」と言いたかったが、我慢した。俺はこういう時腹も立つが、大きなお世話ながら注意してあげたくもなる。長年通っている医者を替えたくないし。

この時は、文句を言うのをやめ、目医者を後にし、処方箋を持って薬局に。

薬局に近づくとシャッターを下ろしている。慌てて店に入って「まだいいか?」と聞く。何を勘違いしたか、受付のお姉さん「在庫がある薬なら大丈夫です」という答え。「そうではなくて、シャッターを閉めてたから」と言うが「大丈夫ですよ。処方箋を見せて」とお姉さん。処方箋を渡して暫時待つ。この、処方箋を渡してから5分10分待たせるのは何をやってるのか?理解不能だ。意味もなく、「待たすために待たす」という印象。これも昔からの「わけのわからん患者は黙って待ってろ」の伝統か?

待ってる間に男が入って来て「ロキソプロフェンはないか?」

薬剤師のおじさん「ありません。ロキソニンならありますが」

男「ロキソプロフェンと同じか?」

おじ「分かりません。どういう症状ですか?」

男「ロキソニンでいいから売ってくれ」

支払いの時、再びしつこく、男「ロキソプロフェンとロキソニンは同じものか?」

おじ(相変わらず)「分かりません」

男は切れ気味に「(薬剤師なのに)分からねえのか」と言い捨て店外に。店外に出て行く男を見たら30~40くらいの若い男。

この男、切れやすい男なのか?それとも自分は別にどこも痛くないけど、誰かに言われて「ロキソプロフェン」を買いに来たのか?ロキソプロフェンと言われたのにロキソニンを買っていって怒られないか、と心配していたのか????なんとなく反社業界の匂いもした。

ロキソプロフェンって、知る人ぞ知る危ない薬なのか?

この薬局、ポイント率がいいのでよく行くが、頭に来るのは営業時間が、①ホームページ記載の時間②店の外に貼ってある紙に記載の時間 が違う上、実際の開店・閉店時間はこれら①②のいずれとも違うということだ。この日だって、午後1時ころシャッターを下ろしていたが、店外に貼ってある紙には「9:00~15:00」と書いてある。

俺はこの点に関しては日本に帰ってきた帰国子女並みに文句を言いたい。アメリカでは、例えば空港にある掲示板・案内板は英語だけでなく、スペイン語、その他いくつかの原語で書かれていた。つまり、昨日移民が認められ、英語もできない”外人”を自国民として教育し、受け入れようという姿勢が如実に現れている。20年前、初めて訪れた中国の高速は道路に穴があいているようなひどいものだったが、看板・掲示板は中国語・英語併記だった。(驚いた)

日本人のコミュニケーションの致命的な欠陥は、「自分の言っていることが理解できない人がいる」ことを想定しないことだ。役所の作る、法律を筆頭とする文書全てしかり。何を言いたのか分からない。真面目に何を言いたいのか知ろうと思えば「教えて」と聞きに行くしかない。言い換えれば「分からん奴は聞きに来い」だ。俺はこれが大嫌いだ。「分かるように書こう、言おう」という気がない。いままで「日本語が通じる日本人」だけに対し、「どうせ相手は頭の悪い連中だ」という前提で書いたり言ったりしてきたから、これを克服するのは絶望的に難しいのかも。ただ、「教えて」と聞きに行く奴には手ぶらで行く奴もいれば、手土産を持って行く奴もいる。そうすると「情報の非対称性・不平等」が生じる。大概は手土産を持って行く奴に有利になることが多いだろう。これがアカン。手土産を持っていくのか、何を手土産に持っていくのかなんていう次元で競争すべきではない。手にする情報は全員同じで、そこから競争するべきだ。

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