俺の日本人論 第41回 俺の日本人論 おまけ >>>入札/談合のパターン<<<
>>>入札のパターン<<<
日本の公共工事の入札の方式は「指名競争入札」と「一般公開入札」と「特命随意入札」の3パターンである。①指名競争入札とは、過去の実績から考えて手抜きや途中で投げ出すことはしないだろうと想定される業者だけを選んで入札させること…限られた業者による“競争”…入札メンバーが仲良くなるので談合を誘発する。②一般公開入札とは、入札する業者を限定しないこと。談合はなくなるが、ダンピングする業者や途中で投げ出す業者、手抜きする業者が受注する可能性がある。③特命随意入札とは入札(=受注)業者を1社に絞ること。競争しないので手っ取り早いが、なぜその業者1社なのか?世界中でその工事ができる業者は他にないのかを証明するのは悪魔の証明に似て非常に難しい。どの方式にせよ、入札が電子化される前は、役所は業者を一堂に集めて入札説明会を行った。これは入札の方式や入札メンバーを業者に知らせることになり、談合を助長した。
この入札方式をどうするかという問題は2005年施行の「公共工事の品質確保の促進に関する法律」で発注者(国交省)がしっかりチェック・検査するという建前を導入し「一般競争入札して談合を防ぎつつ安かろう、悪かろうも防止・回避する」という、耳障りの良い、世論に配慮したきれいな形に落ち付いたように見える。「公共工事の品質確保の促進に関する法律」が施行されるのとタイミングを合わせるようにスーパーゼネコンよる「談合決別宣言」も出された。これは憶測するに国交省がゼネコンに対し「俺もできもしない品質確保をやるって言わされるんだから、お前らも談合しないと宣言しろ」と言ったからではないか?
もちろん、「公共工事の品質確保の促進に関する法律」の精神を実現可能とするような検査・チェック・コスト積算などの能力が一朝一夕に国交省の役人につくはずもなかったから「たくさん汗をかいた」業者がいたことは想像に難くない。しかし実際には2005年前後は小泉政権が公共工事発注を削減していたし、その後リーマンショックで工事量は増えなかったので国交省の役人の検査・チェック・コスト積算などの能力は大きな問題とはならなかった。一方業者側は過去のしがらみを引きずって数年間は受注者・受注金額の談合を続けた。民主党政権がゼネコンは悪だ、とばかり工事業者数を減らそうとし、将来に見切りをつけた業者が廃業して業者数もある程度減った。これが2011年以降、震災対応、自民党安倍政権の発足、オリンピック景気で建設需要は急増、一方で工事発注経験が豊富なプロが少なくなって発注者側が素人化したことも手伝って建設業者が儲ける結果となった。(業者が儲かっている限り、品質管理も行き届き品質問題は顕在化しないので大きな問題は起きない。強いて問題を上げればたくさん仕事を抱えた業者が仕事を譲り合ったり工期を先延ばしするために談合をしたことぐらい…しかし、これは工事消化能力を越えた受注を回避して納期や品質を確保しようとした、業者の自衛手段。)この時期、工事業者が後継者難、作業者減に悩み、このままでは底を打った工事需要に対応できなくなると考えた国交省は若者を建設業に引き付ける方策を考え、建業法の規制緩和などで建設業者の存続・育成を言い出した。
さて、土建工事以外では談合はどうか?例えばIT(ソフト、ハード)、電気製品などでも談合は行われてきた。特に水処理関係は工事、設備に加え活性炭なども談合がしぶとく生き残っていたように思う。またごみ焼却設備も怪しい。要は技術的な差が小さくどこが受注しても差がないもので受注業者が限定されていれば談合が容易・可能となる。談合が成立すれば、受注予定業者が仕様書や図面を準備し、他の業者はそれを流用し、また見積価格も受注予定業者が決めて他社がそれをいくら上回るのか指示された。業者側が仕事を一杯抱え、忙しくてそれ以上受注したくない時は入札・見積作業に手抜きができるこのやり方はありがたい…「忙しいから入札(見積)しない」と正直に辞退すると、お役所からにらまれてそれ以降声がかからなくなる恐れがあり、受注する気のない業者が手間をかけずに入札(見積)できる仕組みは魅力的。
公共工事で談合が行われている分野では民間でも談合があった。更に、民間では発注主(製造業)の工場の片隅に“業者部落”を作って工事業者が事務所を構えているケースがあるが、これは談合の温床。業者事務所が隣同士では談合しない方が不自然と考えるべきだろう。(発注主側もこれを十分知ったうえで談合させていた節もある…談合してどこが受注するのか業者側で決めてもらった方が気が楽、という考え方…価格は業者がコントロールすることになるが)また、三井住友三菱その他の企業グループ内優先受注というルールもあった。(例えば三菱グループの企業向けには三菱グループ企業の受注が優先される、といった…)
日本人が建設・工事を行う限り、談合は生き残る。ただし、特定の政治家・暴力団が仕切って彼らの資金源になるといった悪い談合はすでに無くなっているのでないか?三井住友三菱…日本国内マーケットだけを相手にした企業グループ意識はグローバリゼーションと共に弱くなった。発注者側が賄賂をもらって手心を加えたりどこに発注するのか決めるなんてことは日本特有の話ではなく、万国共通かつ永久不滅であろう。日本人らしい輪番受注、忙しい時の譲り合いなどは生き残るだろう。ただし、これも入札金額を指示したり談合金のやり取りをするといった露骨で品のない作法で常時行われるのではなく、よりソフィストケイトされた「阿吽の呼吸で遠慮し合い、譲り合う」という形で入札(見積)業務の効率化、工事受注量の偏り防止・最適化などを目的とした業者側の自衛的な行為として例外的に行われるようになろう。“自衛”が適正利益の確保を越えて、暴利をむさぼる、に変わる恐れはないとは言えないが。
>>>談合のパターン<<<
以下に談合のパターンを記す。
業者の間に力の差が大きいことが明らかな場合(例えば納期や性能や品質に対する要求を満足できる能力が1社にしかない場合)は談合は成り立たない。逆に言うと複数の業者の間でコスト以外に差がなく、どこが受注してもコスト以外はあまり変わらないという場合に談合は成立する。このことを前提に:
① 景気が悪い時(業者の工事供給能力>工事需要の時)
業者としては少ないパイを皆で分け合って皆で生き残りたいし、ダンピングしてでも受注しようとする裏切者が出ないようにしたい。ここに談合して受注者と受注金額を決定・確認したいという願望が生ずる。
② 景気がいい時(業者の工事供給能力<工事需要の時)
業者はなるべく儲かる仕事、大事な客の仕事、縄張り意識や先々を考えると譲れない仕事 を優先し、儲からない仕事、大事でない客の仕事、譲ってもよい仕事は受注したくないし、 そんな仕事の見積や見積検討作業に時間を使いたくない。業者としては受注したくない仕事を「見積辞退」という客の神経を逆なでするやり方でなく見積を出した上で失注したい。ここに談合して受注を回避できる見積金額を知りたい、見積検討作業の手抜きをしたいという願望が生ずる。
以上の通り、談合は業者の供給能力と需要のアンバランスから生ずる。なぜこのようなアンバランスが生ずるかと言えば、工事の受・発注量の推測が難しいから。もっと言えば発注者自身だって工事発注予定を長期的に見通すことはできない。これを解消するには後述のように発注者・工事業者の談合が必要である。
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