俺の日本人論 第43回 >>>おまけの最後<<<
>>>おまけの最後(談合閑話休題):<<<
譲り合い競争しない日本人だから大地震の時おとなしく列を作るが反面、談合する…同様の事が平和憲法にも言える。日本人の理想である「和」を旗頭に非武装で世界中に平和を説いて回るも結構。そう言うからには、自衛隊もなくし、米軍も日本から出て行ってもらう。日本人らしくて美しい。ただし、どこかの国の軍隊に攻められても抵抗できない。それを覚悟し、承知の上で自ら平和・非武装を実践し、世界各国に説いて回る。つまり、日本人らしく美しく和を実践することは、反面攻められたら簡単にやられてしまうリスクがある。
ヤクザ映画の高倉健や藤純子の殴り込み。彼らは死ぬことを覚悟して殴り込むのでなく、死ぬこと自体を目的として殴り込む。悪くて憎い相手に一矢報いようというのはきっかけ、動機ではある。ただし、そう思い立って身支度する間に段々敵のことは忘れ、散ることで頭がいっぱいになる。つまり、殴り込みをかける意味・目的はどこかにすっ飛んでしまい、待ち構える大勢の敵にやられて「きれいに」死ぬことを思い浮かべる。(特攻隊の皆さんは、アメリカに勝つためではなく、自分がきれいに散ることがお国の将来のためになると信じようとしたとか)ここにロゴス・合理性はない。ここでも日本人らしく美しいことは死・負けのリスクと表裏一体。日本人が日本国内で日本人同士で交際したり揉めたりして生きていく分にはロゴスは要らない。歴史を振り返れば日本人が最もその美しさを発揮するのは「和」のとき…10世紀から11世紀の平安時代、17世紀から18世紀の江戸時代…天皇にはおとなしくお神輿(みこし)に乗っていただき、民百姓の安寧を祈ることに専念いただいて、政治などという下世話なことは代わりの者が行って、国民は日本人が得意で大好きな「和」を満喫した。この時代は鎖国の時代でもあった。
国際社会で交際していこうとすればどうしてもロゴスは要る。
鎖国なんて無理かな?考えてみれば本当の外交、防衛はアメリカに任せてしまっている現状は半鎖国なのかも。敗戦後の日本の外交防衛にロゴスはない。ロゴスに基づく自主独立もない。ロゴスも自主独立もアメリカが許さない*。防衛だとか外交などという下世話な仕事はアメリカに任せて自分は国内だけに通用する「和」を楽しむ…それもまたよしか????いやはや、やっぱりそれじゃあ情けない…しからば不得意なロゴス、自主独立に舵を切っていばらの道を歩むか?…そんなことを思い悩まずとも21世紀後半になれば日本人はロゴス、自主独立に向かうかもね。日本人らしく成り行き任せで行こう。談志師匠の「人生、成り行き」。カズレーザーも成り行き任せらしいね。日本国が21世紀後半も存続すれば、の話だが。天皇陛下、お願いします。
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