人間の処理能力を超えた…

 NHK”あしたがかわるトリセツショー”で鉄分の補給を取り上げていた。(俺はさっそく鉄分補給サプリを発注した。鉄分の取りすぎもダメらしいから1日当たり鉄分2,3ミリグラムの補給にするつもり)娘が鉄分不足なのでこの番組を録画しておいて娘に「見るか?」と聞いたところ「要点だけ短くまとめたものなら見たい(フルバージョンを見てる暇はない)」という答え。改めて処理すべき情報の量が人間の処理能力を終えていることを感じる、俺もそう。かみさんもそう。夫婦そろって録画したTV番組を見切れない。最近動画を早回しで見ることが横行していると聞くがこれも処理すべき情報量が多くの人の情報処理能力を大きく超えているということだろう。(倍速再生を見越した映像作品って、もう出てるんじゃないか?)

俺は、聴くかどうかわからない(せいぜい1回きいたら2度と聞かない)レコードやテープやCDをたくさん集めて来た。(アルバム換算で1848枚、とはっきり言えるのは、コレクションが増えるたびにカウントしてきたから)ビデオテープも何百本。「会社辞めたら聴こう(見よう)」と思っていたが一向に聴かないし、見ない。自分の手元にある、と思って安心してるのか?集めることが自体が面白い、というコレクター心理もある・・・ずっと探していたレコードに出会ったり、ジャケットが違うから買ったら中身は同じレコードだったり、買ったことを忘れて都合3枚も買ってみたり…コレクター心理。これは言わば金を出して情報を自分の所有物(=ストック)にした話。

そうではなくてあふれかえって流れる情報の奔流の中から何をすくい取るか、そしてすくい取った情報をどう処理するかというフローの問題。何をすくい取ったらいいのかの選択まではかろうじてできても、その先、選んだ情報の量だけでも処理能力を超えてオーバーフロー。「おかしいぞ、なんとかしなけりゃ」などと思うのは年寄りだけか?この問題を解消しようにもどうしようもない絶望的な感じがする。こういう忙しい、つまり心を亡くす状況は人間の脳や心にさまざまな”変化”をもたらすだろう。たとえば他人に心や脳を操作されやすくなったり、人のあら捜しをするようになったり、嗜虐的になったり…俺は保守だから、”変化”は悪だと考える。しかし、進化や進歩を信じる人たちにとってはこの”変化”は”環境変化に正しく適応した”ということだろう。そして俺はいつもの通り「こんな世の中に現役でなくってよかった、滑り込みセーフだったなあ」と思う。

原子力などという代物は俺が生まれる前に出現していた。人工衛星は俺の生まれた3年後に打ち上げられていた。人工衛星は時々大事故を起こすが事故の頻度は低く、比較的人間のコントロールの範囲内に収まっているものだという印象で、原子力は原爆の威力、原発が一旦事故を起こした際の放射能のややこしさを見ると人間のコントロールを越えているという感じ。ただし、これは一つ一つの原爆や原発、人工衛星を相手にしての話で、米露中が競って開発競争を始めた途端にエスカレートして地球規模で制御不能になる。

結局、技術の進歩は技術そのものもさることながら、それを人々が競って開発し、人々が競って使うようになれば制御不能な事になる、というのが結論。俺は地球温暖化論者ではないが、人間が競って化石燃料を使ったことは地球の温度上昇になにがしかの効果があったことは認める。産業革命程度の使用量なら地球の処理能力の範囲内に収まっていたが多くの国・人が競って産業革命し始めたら地球の処理能力を超えてしまったということは考えられないわけではない。

敬虔なキリスト教徒は温暖化なんて気にしない。地球は神様が作った。地球の運命も神様がいいようにしてくれる。それを人間の浅知恵でどうこうしようなんて神をも恐れぬ所業。多くの欧米人が地球温暖化論を言うが、彼らはキリスト教を信じていないのか?その点、トランプはキリスト教・神様を信じているような言動を示す。キリスト教徒は気楽でいい。人間はやりたい放題やって、神様が尻拭いしてくれるんだから。地球温暖化って聖書で禁じられていれば話は違うが。寡聞にして地球温暖化に資する行為は聖書で禁じられているという話は聞かない。

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