22・3・9
ブログを始めたことを娘夫婦、息子夫婦、妻(”古女房”はやめてくれと言われた)、3人いる姉の一番下、2番目の姉の夫、の皆さんに連絡した。一番最初に反応があったのは娘であった。嬉しい。娘はIT業界の片隅で禄を食んでおり、電話でブログについてのアドバスをくれた。
娘:文章は短くしないと読まれないよ。
俺:どうして短くないと読まれないんだ?
娘:皆、忙しいから。長い文章なんて読まない。
俺:忙しい人に読んでもらおうとは思ってないよ。
娘:・・・
というやり取りで話は終わった。娘は別途、妻に「料理のことでも書いた方がまだ読まれるのではないか?」と言ってくれた由。(ありがとう!)
正しくこのブログで皆さんに問いかけたいことの一つはこれである。忙しいから短文しか読まない(キャッチフレーズのチラ見)の横行。短い文章・フレーズをチラ見して即断する頭の働き(脳の部位)と、長文をじっくり読み込んで理解・判断する頭の働き(脳の部位)は違うのではないか?娘は最近マンションを買った。何千万円もする人生最大の買い物。その契約書をしっかり読み込んでチェック・理解したようだが、マンション売買の契約書は、短文をチラ見するのに慣れた脳には理解が困難ではないか?また、”チラ見”脳は日本がウクライナのように他国から侵害されたときどうすべきかといった問題について的確に議論・判断できる脳なのか?ウクライナ戦争を機に盛り上がるであろう国防論議や憲法論議に”チラ見”脳は耐えうるのか?政治家として”チラ見”テクを上手に使ったのは小泉首相だった。ワンフレーズで自らを改革派、反対する者は自民党員でも抵抗勢力と決めつけて、アメリカにやれ、と言われた郵政民営化を実現させてしまった。今となっては”小泉改革”はあまりにアメリカ寄りで様々な禍根を残したと考えられているが、当時は小泉改革は新鮮で多くの人がその波に乗ろうと必死だった。
TVは国民総薄痴化の元凶である、と大宅壮一は断じたが、ITはTVに代わる総薄痴化・”浅はか化”の元凶ではないのか?1995年頃俺の会社ではIT化を進めようとメールを導入し、word,excelなどによる文書作成や事務作業を始めた。俺はまじめに「こんなものを使ったら脳みその働きをビルゲーツにコントロールされるようでいやだ」「メールよりファックスや電話の方が日本人向き」などと考えて1年くらい使わなかった。(一緒に仕事する奴からメールだけでも使ってくれないと困ると言われてからやむなく使い出した。この時、学級委員みたいに「会社で決めたことだから従え」と俺に向かって言いやがった女には「うるせえ黙ってろ」と言ってしまった。)大宅壮一が総薄痴化と言って60年余が過ぎたが、次の薄痴の段階に入ってきたようである。最悪なのはパワポである。国会の論議もパワポで作った資料を大きな紙に印刷し、見せながら行われている様子。会社の経営判断もパワポのプレゼンで行われていることが多いのではないか?パワポはチラ見用なので長い文章はご法度なのだそうだ。忙しい皆さんに脳みその上っ面だけを使って決めてもらおうという代物。とても怖い。SNSの「いいね」ボタンは英語ではLike Buttonである。気分次第で押されたり押されなかったりするいいねボタンの数によっては億万長者になれる、ってのもおかしくないか?パワポもいいねボタンも脳みその上っ面という点では同じ。負けじとTVも、暗い顔でウクライナ戦争を伝え、コマーシャルが終われば一転笑顔で「北京パラリンピックで日本人選手が金メダル取りました」とやる。浅はか、薄っぺらい…脳がまともに働いているとは思えない。
さて、現役の皆さんは忙しいからパワポに順応しパワポ脳になるのも仕方ないかもしれない。引退して時間のある”シニア”はパワポなんて無視して昔ながらの長文を汗をかきかき書き、また読解するのでいいではないか?俺の知るシニアはパワポを使いこなすのに汲々とする情けないシニアばかり。若い人に迎合せず、「流行りものを追っかけるのも考え物だ、流行りものには注意しろ」なんてアドバイスはしないのか?
忙しい人だって本は読むだろう。本物の知識や教養って「読書百遍、意自ずから通ず」で難解な長文を時間をかけて何回も読み返して初めて得られるものではないか?確か塩野七生さんの言ったことと記憶するが、クラシックの名曲は最初いいと思わなくても、強制的に何十回と繰り返し聞くうちに良さがわかってくる、とか。俺もかつてジャズレコードを聴いたが、名盤と呼ばれるレコードを聴いてその良さがわからないのは自分が悪い、と何回も聞いた。その時は良さがわからなくとも、何年か経ってから聞くと良さがわかったりする。
俺は若い人に「パワポを使うな」というプレゼンをしたい。そのプレゼンはパワポを使ってやるしかないのか???
次に姉から続いて息子から反応が。いずれもブログ続けろ、という応援。背中を押される。感謝。二人の子供の全く異なる反応、それに対する全く異なる俺の感じ方が「いいね!」
新聞記者は読まれるべき記事は書かない。読んでもらえる記事、売れる記事を書く。(要は記者の忖度)。国民が喜ぶので鬼畜米英やっつけろという勇ましい記事を書いたら新聞は売れ、国は滅んだ。たった80年前の話。立川談志も客に受ける芸か、自分の考える理想の芸かで悩んだ。結局見栄を張って理想の芸に走り、異端児となった。会社員・役人も同様。上に受ける仕事か、自分のやりたい仕事か?ドラマ「踊る大捜査線」で、いかりや長介扮する和久さんが青島巡査に「正しいことをしたければ偉くなれ」と言う。だけど偉くなるために正しくないことも、嫌なこともやらなければならない。結局、正しいことをして偉くなれないか、偉くなるために忖度し、妥協するかの二者択一。
以上を完成するのに何時間も書いては消しを繰り返した俺は何だ?
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