医者・病院の病理 ③
まず、看護婦、受付、MRI検査技師といった女性のみなさんの問題
人出不足で落ち着いて仕事してる余裕がないとは思うが、マクドナルドやデニーズを思い出させる悪しきマニュアル依存…マックで何かを注文すると「一緒に〇〇はいかがですか?」とやる、お定まりのあれ。(もっとも、そんなマックやデニーズが嫌で何十年もそういう会話をしてないから今どうなってるのか知らない。)客が何を欲しているのかなんてことは考えない。客本位でなく、客を自分の型に嵌めて右から左へと流そうとする。マニュアルに書いてあること以外をやるのは無駄・邪魔…俺の偏見では女は男よりまじめに忠実・完璧にマニュアル通りやろうとする…そのことに夢中になる分「自分が何をやっているのか」顧みる余裕がなくなる。
話は脱線するが「誕生日おめでとう」もマニュアルっぽい。年取った俺にとっては誕生日って死に一歩近づく、ますます衰えるという意味。あまりめでたくない。そんな俺に「誕生日おめでとう」と言うのは、言う人本位。言われる側の気持軽視。「皆そう言うから」「今までそうしてきたから」…一種のマニュアル。ただし、それがマニュアルとして成り立っている、ということは俺みたいな変わり者は少なくて大多数の人がいくつになっても誕生日はめでたいと信じているからだろう。ブログって、こういう場合便利。「誕生日おめでとう」と言われて面と向かって「めでたくなんてねえ」と言い返すよりずっといい。言い出すときりがなくなるが、「こんなに長生きできてよかったね」「今まで生きてこられてよかったね」という意味で「おめでとう」と言うのかも。しかし、仏教では「生は苦」とされていて多くの日本人もそう思ってないか?徳川家康の「人生は重荷を背負って遠き道を…」なんて言葉も残ってる。年寄は「そろそろお迎え」が来て欲しいと思ってるのでは?俺も長生きしたいとは思わない…この一連のブログを見れば俺が楽しく生きているわけではないことは分かるだろう。へそ曲がりだから「苦しいから生きてやろう」「死ぬ方が楽なら生きてやろう」と思ってみたりはするが。そうだ、俺の誕生日には「今日まで長い間苦しむことができておめでとう。明日からも苦しんでね。」とでも言ってもらうか。山本夏彦さんは世はすべて習慣、みたいなことを言った。つまり「皆そう言うから」「今までそうしてきたから」に対して目くじら立てるな、ということ。「誕生日」とくれば「おめでとう」と続く、それが習慣だからそれでいいじゃないか、と。挨拶なんてそんなもの。
さて話を戻して、客を自分の標準、型にはめようとするのはアメリカ式(マック式といってもよい)。一見効率はいいのだろうが、「木で鼻をくくった」ような対応が嫌な客もあろう。そういう客は2度と来なくなる。俺もそう。(客としての俺は、客のことを考えろ、とも思わない。ともかくマニュアルでなく「自分の頭で考え、自分の心で感じ、自分の言葉で語ってくれ」と望むのみ。結果、それが俺に合っていればとっても嬉しいし、合ってなくてもよくやった、と評価すると思う。)一方でマックもデニーズも長年日本に定着しているのだから、そのサービスを喜ぶ客が日本にも多いということ…俺の口かお前の耳か???
アメリカ人は、もめると双方が譲らず自分の正しさと相手の誤りを主張して「子供の喧嘩」になって訴訟になるようだ(当事者同士の譲り合いで話をつけるとか、「落としどころを探る」などという発想はなさそう)。アメリカの営業業務や事務は標準化されていて効率は日本よりはるかにいい、と言われるが、一方で訴訟は多い。訴訟のときの弁護士まで含めて効率的なのか?1回離婚訴訟を経験したアメリカ人(俺はそんなプライベートな話までできる間柄になったアメリカ人は数名、それも男だけだが)の多くは「離婚で弁護士に食い物にされた。アメリカは狂ってる。弁護士のためにあるような国だ。」とつぶやく。「弁護士はハゲタカのように、もめ事を嗅ぎつけて飛んでくるし、もめ事の火種を見つけて訴訟合戦にもっていく」とも。一方、日本人は①もめ事を起こさないようにしよう②もめ事が起こったら弁護士なんかに頼らず当事者間で解決しよう、あるいはもめ事はなかったことにしよう と涙ぐましい努力をする。これが「もめたら弁護士に」というアメリカと比べて、見かけ上、業務効率を悪くしている。
これはアメリカと真逆な点だが、日本の文書コミュニケーションのお粗末さ・貧弱さ。文句を言われない立場の人間は傲慢。自分の作った文書を相手が理解できないとは想像しない。せいぜい「もし理解できなかったら聞きに来い」という態度…”文書軽視症候群”。アメリカはさすが移民の国、英語が不自由な人でもわかるようにとか、こんなケースはどうする、あんなケースはどうだ、とやたら冗長で分厚い文書になる。後々訴訟されたとき、不利になる証拠書類は残さず、有利になる証拠書類を残そう、ということもあろう。日本と180度違う。これはこれでどこに何が書いてあるかわからない大量の書類の山に囲まれて…という別の病気。アメリカで、ある大手エンジニアリング会社の調達部署に行ったらたくさんの人が注文書、契約書をチェックしていた。「何してるの?」と聞くと「注文書、契約書に違法なところ、訴訟になったら負けそうなところがないかチェックしている」という答え。合掌。
1.日本のお役人が作る法律や「お願い・ご指導」は何回読んでも「どうしたら違反なのか」「どうすればいいのか」釈然としない。役人に、理解できる法律・文書を作れなんて言う奴はいないから、いつまでたっても変わらない。
2.俺はかつて設備調達に関わっていたが、調達には現場技術者の書いた「仕様書」が必要。この仕様書が「わからなきゃあ、聞きに来い」という不親切な代物。これは日本では、出入り業者に「あそこのあれをああしてくれ」と、口頭で指示すれば済んでいたから。つまり業者に何をして欲しいのか書いて表すことをしてこなかった。複数の業者に競争見積させようとか海外調達しようと思うと「何をして欲しいのか」を文書で書き表し、日本語のできない相手にも「何をしなければならないのか」を理解させる必要があるが、これができない。業者は客に向かって「アンタの仕様書の書き方はダメ」とは言ってくれない。せいぜい見積を出さないという抵抗をするくらい。俺の経験した最低の仕様書は「〇〇工事 1式(詳細は〇月△日打ち合わせた通り)」と書いてあった代物。書いた人と打ち合わせに出た業者にしかわからない…「仕様書を書けっていうから書いたぜえ」…30年たった今でも覚えている。
3.MRI検査病院の問診票や注意書きも同様。一読して分かってもらう必要があるが、分からない人がいるかも、という想像力・おそれがない。病院では、読書百遍という時間はない。わからなきゃあ聞きに来い、という態度とも受け取れるが、医療の現場でそんなこと言ってたら間違いや手遅れの原因にならないか?俺の行ったMRI病院の問診票は「これ作った人日本人?」というくらい日本語が稚拙。俺もそうだが「まずいよ」と教えてあげる人がいないんだろうなあ。(まずいと思った客は2度と行かないから)そして医者にも理解が難しい検査レポート。理解できない藪医者も悪いんだろうが、その藪が、患者を前にして「わからない」と堂々と言えるってことは、業界内で、MRI専門医が書くレポートは理解しにくい、何を言いたいのかわからない、わからなくても恥ずかしくない、という評価が定着しているからではないか?
法律や調達仕様書の文書の理解しにくさは不平等を誘発する。書いた人にこっそり「教えて」と聞きに行ける人、あるいは書いた人と普段からお付き合いがあって聞きに行かなくてもわかる人には有利。そして、何を言いたいのか理解できる人は「この法律の意味するところは」…なんて金を取って他人に指南する…いかがわしい。一番いかがわしいのは役所のOBがこの指南をすること(国交省のOBが建業法順守の講義をして回るとか)。役人も退職後も飯を食わなければならないのはよくわかる。でも、もう少し気の利いた飯の食い扶持はないものか?天下りに代わる役人の食い扶持確保の方法が早く開発されないか。
MRI業界において、文書軽視症候群は診断のミス、MRI検査中の事故などを起こす可能性。処方箋のいい加減な表記も間違いを起こす可能性。処方箋については厚労省のご指導が原因だろう、と憶測。厚労省はジェネリックを普及させ、国保健保の赤字を少なくしたいのでジェネリックを優先使用するよう、ご指導してるはず。それが処方箋のジェネリック優先表記につながってるのでは?
お粗末な文書では訴訟になった時の証拠能力も怪しい…「ここにはこう書いてあるけど、実は別の意味で、口頭ではそう伝えた」では裁判に勝てない。
日本語のコミュニケーションはなるべく言葉を少なくし、それを察し合うことを是としてきた伝統がある。平安時代の文章や歌が典型的…「古文」の授業で、何が省略されているか、こう言えば当時の慣習ではこういうことを意味するなどと教わった…確かにぐだぐだ言わないのは粋。察する能力で評価され、察する力のない人間は馬鹿にされ、仲間外れに。(空気を読めない奴はいじめられる。)これが甚だしくなると仲間同士だけが分かる「符丁」を使い出して、符丁が分からない奴を排除する…MRI病院の受付嬢にも初回はそれを感じた。平安貴族のたわいのない会話や芸能関係ならそれでもいいが、ビジネスや医療や行政、ましてや外交、戦争では非効率、不平等、不透明、不明瞭なだけ。
田原総一郎は、ここ数年、老醜をさらしている(何とかしろよテレ朝!)が、森友事件だか加計事件発覚の時、「役人は忖度するもの」/「忖度するのが役人」と、気の利いた言葉を吐いた。忖度=察する力であり、(今でも?)日本人のコミュニケーション能力で最重要なものの一つ。政治家の先生が「あれ」と言ったらそれは何を意味するのか察するのが役人の能力。政治家の先生は日本人の中でも特に「自分は何をしたいのか」「何をしてもらいたいのか」はっきり言わない人種だろう。
自分の言いたいことを100%言い尽くそうと思ったら効率は落ちる(というかいくら時間をかけても不可能)。従って、「あれ」と言っただけで何を指すのか察してもらえたら、うれしいし、超効率的。色々問題はあるが、日本人同士の内輪のコミュニケーションならまだ通用する。これが「日本語の通じない」人とのコミュニケーションには使えない。キリスト教徒のコミュニケーションは最初から最後まで言葉で埋め尽くそうとする。(聖書に「はじめに言葉ありき」って書いてある)グローバリゼーションて難しいね。鎖国できねえものかね?トランプは鎖国しようとしてたね。アメリカは自給自足できそうだから鎖国もそんなに難しくないんじゃないか?日本も人口が半分になり、江戸時代みたいな生活でいいなら自給自足も不可能じゃない?(俺はいいけど…無理か…ウクライナみたいに侵攻されたらヤバイし)
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